名作なのでこんな木っ端ブログが取り上げるまでもなく、ネット上には上質な書評が今もあちらこちらでされているのだが、自分が読んだ記録として。
『星を継ぐもの』はジェイムズ・P・ホーガンによるSF小説だ。
1977年に刊行されたらしい。
2027年の月で宇宙服を着た人間の遺体が発見される。一体誰だ?なぜこんな場所に?身元を特定しようと詳しい調査を行うと、なんとその遺体は5万年前に息絶えたものだった。5万年前にそんな文明があれば遺跡の一つもあるはずで、絶対にありえない話だ。では宇宙人なのか、いやしかしどう調べてもこの遺体は地球人だ。
まるで信じ難い物証を前に、人類の叡智を結集してこの遺体の謎を解いていく。その徐々に解明していく過程が、実に面白い。
「現実」と「フィクション」をうまく織り交ぜ、「科学的」かつ「論理的」な順序で語られるが故に、これが現実の地球でも起こり得ることではないかと錯覚してしまう程のリアリティを物語に与えている。
古いSFとはいえ、さすがに名作は色褪せない。
いやあ、よくこんな壮大な謎を纏め上げたものだと感心してしまった。
古いと言えば。
今を生きている我々には小説が刊行された当時の空気と共に作品を味わうプレミアム感は絶対に体験できない事だ。
でも、逆に今だからこそ古い作品を通じて「過去の歴史に想いを馳せる」感覚を愉しむ事はできる。
そういう意味では『星を継ぐもの』は当時の時代感覚を潤沢に吸収した、良い題材だと思った。
刊行された1977年は、米ソ冷戦真っ盛りの頃だ。2大国が核の大量製造に血道をあげ、両陣営の威信をかけて宇宙開発にシノギを削っていた時期である。
まだ先の世界大戦から30年余り、いつまた破滅的な戦争が始まるかもわからない鬱屈した空気が蔓延していたことだろう。
なにしろ次の世界大戦は、文明の滅亡が現実的なレベルと言えるまでに達しているのだ。
一方宇宙開発では1961年にガガーリンが宇宙からの帰還を果たし、1969年には有人による月面着陸も成功するなど、輝かしい宇宙開拓時代を思わせる希望もあった。
この小説を読んだ人なら、この時代感がベースになってフィクションも形作られたのがわかるのではないだろうか。
未来を生きている私達としては、そういったノスタルジックな愉しみ方ができるのも、贅沢な事なんじゃないかと思う。
お返しに当時の人たちに「小説では2027年にはガニメデまで有人で行けてるけど、どうやら無理っぽいわ。宇宙はそんな簡単じゃなかったよ。」と教えてやる事ができたら、もっと贅沢なのだが。
続編もあるらしいので、いつかそちらにも手を伸ばしてみたい。
おひさしぶりですw
ちょっと鬱になってたので酒飲んで寝込んでました
星を継ぐ者は聞いたことはありますが読んだことは無いです、評判が良いらしいので図書館にいって探してみようかと思います
他に気になっているのはグレゴリーベンフォードですね
哲学的なSFと言えばアーサークラークの幼年期の終わり、2001年宇宙の旅の原作となった前哨
デイビットジンデルありえざる都市、ダンシモンズハイペリオンエンディミオンもおもしろかったです
Wikipediaでみるとジェイムズ・P・ホーガンはなかなか香ばしい人のようです、まぁ作品の内容にはあまり関係が無いですが
哲学的な内容では無いですが、アーサークラークの未来のプロフィルが科学少年としては面白かったです
飛行機が飛ぶことは不可能と「科学的に」証明した学者の話、ロケットで宇宙には行けないと断言した科学者の権威の話(蒸気機関車に乗って走ると乗客は窒息死するということもいわれたそうな)
当時の宇宙開発の現状を見て2001年には月に調査基地が出来て木星(の衛星)に宇宙船を飛ばせると本当にアーサークラークは考えていたのではないか
トーンダウンしても2027年にガニメデに有人で行けるというのも有りだったのかもしれない
それぞれ時代の雰囲気、空気があって仕方がないのかもしれません
SFに今のケータイ(スマホと言わないとバカにされるのでしたね)の普及にたいする描写が無かったのじゃないか、いやあるよとかいろいろあります
筒井康隆さんでしたっけ、未来予測は難しい5分後の競馬の予測も出来ないんだからと言ったのは
2001年宇宙の旅はあの当時としてはとんでもない映画でしたね。
その後のありとあらゆる創作に影響を与えたのも納得です。
68年公開ですから、この小説に与えた影響も甚大だったでしょう。
未来のプロフィルはなかなかおもしろそうですね、機会があれば読んでみたいと思います。
未来予測は難しいですが、競馬なら当てるのは簡単ですよ。
単勝全部買えばいいんですw
問題はどうやって儲けるかなんですよねえ・・・。