Netflixで視聴。
半藤一利原作で1967年版のリメイクだそうだが、そちらは観ていない。
太平洋戦争末期、天皇や大本営を中心とした玉音放送に至るまでの舞台裏を淡々と描いていく。
諦め、メンツや淡い期待、クーデターを計画し玉音放送を止めようとする若い将校たち、ポツダム宣言を受け入れるまで一筋縄ではいかなかった事がよくわかる。
本土決戦だと息巻く若い軍人たちを抑えて敗戦にもっていくのは命懸けだ。226事件による襲撃で何人も殺されてからは、軍に怖気づく政治家ばかりだったと聞くが、敗戦処理を任された鈴木首相ら閣僚の覚悟は相当だったろう。阿南惟幾が陸軍大臣を受ける時に「貧乏くじ」と呟いたのは正にそういう事で、実際、玉音放送直前では、血気にはやる将校たちの気勢を煙に巻こうとした近衛師団長ら高級将校も殺されている。
現在を生きる我々にとっては、なぜもっと早く決められないのか、この期に及んでまだそんな期待をしているのか、これ以上犠牲を重ねてどうするのかと、忸怩たる思いで観ることになるのだが、いざ当事者になれば、そして国家という巨大な生き物の中にいればどこもこんなものなのかもしれない。
イタリアはムッソリーニを吊るしたし、ドイツは首都が落ちるまでやった。
最近でもイラク戦争だって、フセインが死ぬまで続いた。
どこの国も負け方は難しいんだろう。
だからこそ最初の段階で間違わないようにしなければならないと強く思う。
個人的評価:★★★☆☆
映画は見ていませんが、歴史好きとしてちょっと一言
まぁしろうとの妄言として聞いてください
日本の敗戦は(終戦という言い方は嫌いです)昭和天皇が決断されたと聞いています
周りは「国体」を守るために戦争継続、降伏が決まった後も「国体維持」が条件でした。
そのはずなのに玉音放送後も元参謀辻正信なんかは抵抗を続けています。きっと奸臣が陛下をだましているとでも思っていたのでしょうかあるいは玉を確保すればこちらが正義になるとでも思っていたのでしょう
国家という巨大な生き物の中にいればどこもこんなものという意見には賛同しかねます。
組織(特に巨大な組織である国家)の中にはいろいろな人がいてそれぞれ善かれと思うことをやっている、殺した人も殺された人も(当然辻元参謀も)
226事件の犬養毅首相の言葉「話せば分かる」将校の「問答無用」も思えば深い言葉ですね。
その時代にはその時代なりの考え方があり、その時にはそれが普通だった。戦後価値観が変わって私たちはそれをそうだと考えなくなったのだと思います。
戦後だってまともな人なら一つの会社で定年まで勤めあげるのが常識だったし、下世話な話になりますが処女と童貞で結婚するのが人として当然と多くの人が考えていました
映画を見るとき現代を映すものとしてみるなら現代の考え方をしてよいのですが、歴史的な出来事としてみるならその時代の人の考え方はどうだったんだろうと考える必要があると思います。
いろいろ生意気なことを言ってごめんなさい